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ASHINO KOICHI +plus

彩書家・蘆野公一の日々のつれづれ

ほんのり 

2013/10/07
Mon. 04:05



一人暮らしをしてすぐは、キッチンにある、いわゆる鍋と呼ばれるものは、小さな琺瑯製のミルクパンと、南部鉄でできた北京鍋しか無かった。
お湯などを一人分沸かすときはミルクパンを使い、炒め物、煮物は言うに及ばず、その他のすべての料理は北京鍋で賄っていた。

初めて両親が部屋を訪れたときのことだった。
二人分のお茶のお湯を沸かすのに、ミルクパンを使わず北京鍋で沸かすことにした。ミルクパンでもじゅうぶん二人分のお湯を沸かせたのだが、なんだかよくわからないのだけれど、鉄分がしっかり摂れていいだろうみたいな考えがあって北京鍋にしたのだと思う。

お茶を淹れ、こちらでの生活のことや、なんだかんだ話をし、両親は一時間ほどで帰った。
父も母も、お茶にはひとくち口をつけただけで、ほとんどを残していた。
せっかくの鉄分たっぷりのお茶なのに、とやや憮然として茶碗を片付けた。

それからそれほど時を経ずして、何人かの友人が部屋にやってきた。寒い日だった。
コーヒーがいいと友人は言う。大人数の湯沸かしなら北京鍋の出番である。今度は自分のぶんのお湯も沸かしてコーヒーを淹れた。
最初に口をつけた友人が、ぐわっとかなんとか叫んでコーヒーを吐き出した。カップは揺れ、熱い液体が友人の脚にかかる。
大騒ぎしている友人を横目に私と他の友人もカップを口に運ぶ。
みんな仲良くコーヒーを吐き出した。
褐色の液体にはありとあらゆる料理の味の痕跡と、鉄臭さが溶け込んでいて、とても飲めた代物ではなかった。
これまで経験したことのない最悪の味だった。



R0019714.jpg



どうしてこんなことを思い出したのかというと、菊を茹でるのに、大鍋を出すのがめんどくさくてフライパンで代用したら、案の定、ほのかにではありましたが、フライパンの年月の味が菊に移ったと、そういうことです。
上記の経験から判ってはいたのですよ。でもめんどくささが勝った。菊ならいいかみたいな。醤油かけるしいいかみたいな。

ほんのりにおう菊の花弁はそこはかとなく悲しかったです。

 

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