ASHINO KOICHI +plus
彩書家・蘆野公一の日々のつれづれ
遺伝子積み替え
2016/11/28
Mon. 02:46
ふた昔以上も前、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」という書物が世を席巻した。
私もそれを読み、ご多聞に漏れず彼の遺伝子論に大きな影響を受け、それから動物行動学や分子生物学の本をとっかえひっかえ読み漁ったのを思い出す。
「生物は遺伝子のヴィークルに過ぎない」という彼の言葉に詰まった論旨は、当時の私には衝撃だった。
最近、生と死というものを見つめ直す機会を与えられ、上記のこともひとつの考える側面として登場した。
遺伝子。
私と4分の1同じ遺伝子をもつ弟は子供をつくらぬまま離婚してしまったし、私はといえば皆さん知る通りだ。(知らない方は文脈より判断してくださいな)
もしかしたら、弟にも私にも、本人たちの知らぬところで遺伝子を半分持った子供が育っていることがあるかもしれない。が、その可能性は限りなく低い。
このままこのヴィークルに遺伝子をずっと積んでいていいはずがない。
はやく新しいヴィークルに遺伝子を積み替えなければ。
そんなつまらぬことをぐだぐだ考えた晩秋の一日があった。

ずっと会っていない親類縁者の現状を聞くと、歳月は確実に、それもかなりの速度で流れていることを痛感する。
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