ASHINO KOICHI +plus
彩書家・蘆野公一の日々のつれづれ
欲求としての5つの感覚
2018/03/21
Wed. 05:10
最近、日常における、欲求としての視覚の占める割合が大きい。
少し前までは、聴覚も嗅覚も触覚も味覚も、自分が煩わしさを覚えるほどに貪欲だったのだが、これはいったいどうしたことか。
とはいえ、煩わしさを覚えないほどには貪欲であるのだ。

「やみつきしみかりせん」というのを一袋いただいて、2日で無くなる算段をしていましたが、なかなか手が止まらず、”やみつき”だから仕方ないよねー、別に太ってもいいしー、と夕食後15分で消失。
ばりばりしながら製造元を見ると、ふむふむなるほど。と納得がいったのでした。
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